中学高校の同級生が、主婦ながら女優活動をしています。ここ数年、年2回の公演を芝居好きの先輩と友人を誘い観つづけていると、劇団の進化や熟成がわかるようになる。思考や感性の深化が進み、間合いや味わいが演技に現れてくるのもトシならでは。毎度、観劇後に慰労を兼ねた食事会をしますが、そうした意見交換の数々が、異なる職業の友人同士に佳き刺激をもたらしあい、これが明日への活力へとつながってゆく。
とまれ、話題につきものなのが年齢のハナシ。先月、いまの仕事をするキッカケを作ってくれ、前職の社長にまで上り詰めた先輩が亡くなった。独立の理由に彼との対立があったものの、敵意や対抗心ではなく、ある種の励みにと位置づけた人だっただけに、悲しい以上に脱力してしまいました。とまあ同年代なら誰だって身の回りにひとつや二つある出来事ですが、明日は自分ごとになるかもしれないし。
定年前の54歳で自主退社した先輩は、遠くに住むご両親の医療介護のため定期的に帰郷しています。今後のことは時間をかけてゆっくりお考えになるよう。組織に縛られず自分らしい生き方を始めるには、老後の生活=オカネを気にせずにはいられないけれど、全力で生ききった先にある老後を思えば、今をケチケチしたくはない。そう甘くはないだろうけど、自分だけよければ的な生き方はしたくない。
女優業の彼女も、正月明けにお父様を亡くした。直後、お父様の郷里を題材にした芝居のオファーを受け、これも何かの縁と引受け取り組んでいるそうです。目立ちたい、売れたい、輝きたい。それが、誰かの役に立ちたい、次世代に伝えたい、代役を買って出たい。年を経て、役者をやる意味に変化も出てきたといいます。この国の将来を憂う2児の母、日常の不安や憤りを、芝居を通じ発したいとも。
劇場には様々な日々を過ごす人が集まり、舞台を観てそれぞれのココロの中で意図を汲み解釈していると思います。いろんなことがある人生だから、観ている間に様々な感情や想いが湧き出してくる。芝居は役者たちから発信されるのではなく、観る人と創られるものかも、と同級生に伝えました。観てて、しみじみ思ったもの。
先日、高知に住む母からアレコレ送ってこられた中に、旧いカメラがありました。量産型で特に珍しいものでもないけれど、昭和らしいフォルムに惹かれ、再利用できんもんかなとレストアを依頼し今日届きました。事前に買っておいた本革ストラップも装着。修理はネットで見つけた個人の方ですが、とてもよくしてくださって感謝。旧いフィルムカメラの修理は、下記にご相談されてはいかがでしょうか。
★昭和カメラサービス
ハーフサイズカメラは12枚撮りフィルムなら倍の24枚撮れるので経済的スグレモノ。残数を念頭に一枚ずつ丁寧にシャッターを切り、現像〜紙焼きまでの時間を楽しむ。自身の生き方も、少しアナログ化していこうかなと考えてみたり。つか、カメラに付着した押入れのカビっぽいニオイがどーにかならんかの。